| 生没年 | 1955年4月5日 〜 2024年3月1日(享年68、急性硬膜下血腫) |
|---|---|
| 出身 | 愛知県西春日井郡清洲町(現 清須市)、生涯を愛知県に在住 |
| 学歴 | 愛知県立起工業高校 デザイン科 卒業(高卒) |
| 担当編集者 | 鳥嶋和彦(集英社、45年間の関係) |
| 著作管理 | 株式会社バード・スタジオ |
| 受賞歴 | 第27回小学館漫画賞(1982)、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章(2019)、GDC生涯功績賞(2019) |
| 国・地域 | 反応 |
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| フランス | マクロン大統領がXで直接追悼コメント(外国漫画家への国家元首追悼は異例) |
| エルサルバドル | 政府が国家追悼期間を設定(外国漫画家への国家弔意は史上初) |
| メキシコ | 首都で数千人が集結し追悼 |
| チリ | サンティアゴで参加者全員が「元気玉」のポーズで追悼 |
| 韓国・中国 | 外務省・外交部からコメント発表 |
| 米国・英国 | Forbes・CNN・BBC・Guardianが大型追悼記事 |
デザイン会社を辞めた23歳の鳥山は、週刊少年マガジンのデビュー賞金100万円を目当てに、漫画を一度も描いたことがないまま投稿。当然ボツ。次に「週刊少年ジャンプ」に切り替えたところ、入社2年目の若手編集者・鳥嶋和彦が「絵の線に魅力がある」と直感し個別指導を開始した。
鳥山が原稿を送るたびに鳥嶋が即座にボツとし「もう一度描き直してください」を2年間繰り返した。連載デビューまでのボツ原稿500枚以上は一般的な漫画家の10倍以上。鳥山は「鳥嶋さんが面白いと言ってくれたら絶対に売れる」という信頼感で書き続け、1980年の『Dr.スランプ』第1話で読者人気投票1位を獲得した。
連載4年目にネタ切れで「もう描けない」と泣きついた鳥山に、鳥嶋は「3ヶ月後に新連載を始めるなら終わらせていい」と決断。人気連載を引き延ばすのが業界の常識の中での異例の判断。1984年12月にドラゴンボール連載開始。初期は西遊記モチーフのカンフーコメディだったが、鳥嶋の「戦闘漫画に振り切れ」という判断で路線転換し、世界2.6億部の超巨大IPに成長した。
鳥嶋の仲介で、堀井雄二(脚本・ゲームデザイン)+鳥山明(キャラクター・モンスターデザイン)+すぎやまこういち(音楽)の「ドリームチーム」が結成。1986年発売のドラゴンクエストはシリーズ累計8,500万本超の国民的RPGに成長。「漫画家がゲームのキャラクターデザインを担う」という新職能領域を開拓した。
20世紀フォックス制作の実写映画『ドラゴンボール エボリューション』が米国興収約960万ドル(製作費3,000万ドル)で大コケ。鳥山は「意見が受け入れられず、納得のいく出来にならなかった」と公言し「もう実写は絶対にやらせない」と明言。これが後の尾田栄一郎がNetflix『ONE PIECE』で原作者監修権を要求する交渉モデルの源流となった。
急性硬膜下血腫で急逝(享年68)。3月8日の訃報公表後、フランス大統領・エルサルバドル国家追悼・メキシコ・チリ追悼集会・米英大手メディア大型記事と世界規模の反響に。担当編集者・鳥嶋和彦のコメント: 「45年に渡りありがとうございました。鳥山さん、あなたは最高の漫画家でした」。連載中だった『ドラゴンボール超』等はバード・スタジオ監修で継続展開中。
| 関係 | 人物 | 関係性 |
|---|---|---|
| 最重要パートナー | 鳥嶋和彦(Dr.マシリト) | 担当編集者・人生の恩人。45年間の関係 |
| ゲーム界の盟友 | 堀井雄二(ドラゴンクエスト) | 1986年〜没後まで全シリーズ協力 |
| ゲーム界の盟友 | 坂口博信(FF創始者) | クロノ・トリガーで共闘 |
| 神格化対象 | 手塚治虫 | 「漫画の神様」と公言 |
| 後輩・憧れの対象 | 尾田栄一郎、岸本斉史、久保帯人 | 「神」と公言する作家多数。尾田「空いた穴があまりに大きすぎます」 |
| 関連スタジオ | 東映アニメーション、バンダイナムコ | 没後も継続するエコシステム |