| 生年月日 | 1941年11月5日(神奈川県小田原市) |
|---|---|
| 本名 | 富野喜幸(とみのよしゆき)→ 1980年代後半より「富野由悠季」名義 |
| 学歴 | 日本大学芸術学部映画学科 卒業(1964年) |
| 現役 | フリーランス監督。バンダイナムコフィルムワークスの作品で総監督名義を継続 |
| 受賞・名誉 | 文化功労者(2021年)、日本芸術院会員(2017)、紫綬褒章(2014) |
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1979〜1980 | 『機動戦士ガンダム』放映・打ち切り。富野が約30万円で著作権をサンライズに譲渡 |
| 1980〜 | 再放送・ガンプラで爆発。IP価値が急騰したが富野の収益はロイヤリティのみ |
| 1994 | バンダイがサンライズを秘密裏に買収・子会社化。富野は『Vガンダム』制作中で何も知らされなかった |
| 2005 | バンダイ+ナムコ経営統合。サンライズはバンダイナムコグループへ |
| 2019 | 創通がバンダイナムコの完全子会社化 |
| 2022 | サンライズが「バンダイナムコフィルムワークス」に商号変更 |
| 2026 | クレジット表記が「©創通・サンライズ」→「©サンライズ」へ変更開始 |
日大芸術学部卒業後、手塚治虫の虫プロダクションに入社。『鉄腕アトム』を25本担当し虫プロで最多記録を樹立。しかし作品至上主義ゆえに先輩スタッフと衝突を繰り返し孤立。1967年に「アニメ村化する虫プロ」に絶望して退社。「孤独な天才」という業界での位置づけはここで固定された。
本放送時の平均視聴率は5.3%(目標10%を下回り43話で打ち切り)。転機は1981年の再放送でガンプラが初日完売の社会現象に。「アニメ新世紀宣言」(新宿駅東口広場、来場者1万5千人超)で確立。「視聴率より、ファンの熱量」という価値判断がここで生まれた。リアルロボット = 「モビルスーツは整備が必要で、戦争で壊れる」というジャンルの発明は、後のロボットアニメ全体の文法となった。
ガンダム打ち切り後、生活困窮した富野はサンライズに著作権を約30万円で譲渡。その後ガンダムIPはバンダイナムコの中核となり累計1兆円超に達した。富野は「ガンダムゲームが世に出ているのは、僕が版権を持っていないおかげかもしれない。僕が持っていたら、ゲーム化を許さなかったかもしれない」と自虐的に語る。
ガンダム直後の『伝説巨神イデオン』(1980-81)で最終話に人類が完全滅亡する衝撃のラスト、「皆殺しの富野」の通称が定着。1994年の『Vガンダム』はサンライズのバンダイ身売りを知らされなかったことが重度うつ病の引き金となり登場人物が次々と凄惨に死ぬ内容に。富野自身が後に「観るな」「DVDを買うな」と発言。1998年の『ブレンパワード』以降「白富野(希望・赦し)」にシフトし復活。
バンダイがサンライズを秘密裏に買収・子会社化。富野は『Vガンダム』制作中で何も知らされず、「自分自身が身売りされたような感覚」を抱いたと後年語った。「経営判断とクリエイターの断絶」という構造的問題の典型事例として、後の業界構造論議で必ず引用される。
令和3年度文化功労者に選出。「ロボットアニメというジャンルを創始し、日本アニメーションの世界進出の礎を築いた」が選出理由。文化功労者の年金(年350万円)と原作クレジット印税が継続的収入。「版権はないが、文化功労者にはなれる」というアニメ業界の独特な価値配分の象徴。
| 関係 | 人物 | 関係性 |
|---|---|---|
| 業界の師 | 手塚治虫 | 虫プロでの直接の師。『海のトリトン』で対立も |
| 兄弟弟子 | 高橋良輔(装甲騎兵ボトムズ) | 虫プロ同期。リアルロボット双璧 |
| 兄弟弟子 | 出崎統(あしたのジョー) | 虫プロ同期。早逝した名匠 |
| ガンダム共同制作 | 安彦良和(キャラクターデザイン) | 後に独立して「ガンダム THE ORIGIN」監督 |
| ガンダム共同制作 | 大河原邦男(メカデザイン) | モビルスーツデザインの大半を担当 |
| 後輩世代 | 押井守、庵野秀明 | 「富野が居なければ自分たちは存在しない」と公言 |