| 生年月日 | 1941年1月5日(東京府本郷区) |
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| 本名 | 宮﨑駿(みやざき はやお) |
| 学歴 | 学習院大学政治経済学部政治学科 卒業(1963年) |
| 現職 | 株式会社スタジオジブリ 取締役名誉会長(2023年9月〜) |
| 資本構造 | 日本テレビHDが議決権42.3%取得(2023年9月子会社化) |
| 受賞歴 | アカデミー長編アニメ映画賞×2、ベルリン金熊賞、ヴェネチア栄誉金獅子賞、文化勲章(2012) |
1984年『風の谷のナウシカ』で環境・戦争・少女のリーダーシップを描き興行15億円、1997年『もののけ姫』で国内興収193億円(当時邦画歴代1位)を達成。2001年『千と千尋の神隠し』は国内316.8億円・観客動員2,350万人で20年間日本歴代1位を維持し、アカデミー賞・ベルリン金熊賞をW受賞した。
一般的な製作委員会(10社以上)に対し、ジブリは制作スタジオ+テレビ局+配給1社という3層シンプル座組みを標準形とした。これによりIP権利の本体をジブリが手元に残すことを可能にした。1996年のディズニーとの配給契約では「1コマも改変させない(No Cut, No Change)」条項を確保し、海外市場でも作品の完全性を守った。
業界慣習の「歩合制フリーランス」を否定し、固定給+賞与+退職金+厚生年金を全アニメーターに支給。制作費を押し上げる要因になりながらも、「日本一アニメーターを大事にする会社」というブランドを確立し、人材集積で他社を圧倒した。
徳間書店『アニメージュ』編集者・鈴木敏夫が「漫画版を先行させて読者支持を可視化する」という戦略を取り、連載を企画。映画版(1984年)は興行15億円、漫画版は累計1,700万部超に成長。「アニメ企画→漫画化先行→映画化」という鈴木式メディアミックスのプロトタイプとなった。
宮崎・高畑・鈴木の3人が徳間書店の支援でスタジオジブリを設立。社名「ジブリ」はサハラ砂漠の熱風を意味するイタリア語で、「アニメ業界に熱風を吹かせる」という意思表示。出資者を徳間書店1社に絞り、製作委員会方式に頼らずに長編劇場アニメを作り続けるモデルを確立した。
国内316.8億円、観客動員2,350万人。アカデミー賞・ベルリン金熊賞のW受賞(アニメで金熊賞は史上初)。授賞式当日、宮崎はイラク戦争への抗議として米国渡航を拒否し欠席。「日本アニメ=世界の頂点」というブランドが確立し、東宝は「邦画はアニメで稼ぐ」戦略に明確にシフトした。
過去7回の引退宣言を経て、2017年に孫世代への「死ぬ前に伝えたい話」として新作を決意。事前宣伝ゼロという前例のない興行戦略で2023年7月公開。国内88億円・世界2.92億ドルを達成し、2024年第96回アカデミー賞で長編アニメ映画賞を受賞(千と千尋以来21年ぶり2度目)。「SNS時代の口コミだけで国際的ヒットを成立させる」Anti-Marketingモデルとして経営学的にも分析された。
日本テレビHDが株式42.3%を取得し子会社化。鈴木敏夫が代表取締役議長、宮崎吾朗(長男)が常務取締役に。鈴木は「ジブリの後継者問題にはことごとく失敗してきた」と述べ、38年間の信頼関係がある日本テレビに経営を委ねる決断をした。「外部資本との距離感のあるパートナーシップが、創業者の死後もブランドを守る」モデルとして注目された。
53年来のパートナー・高畑勲が2018年4月に死去。葬儀で宮崎は「僕はパクさんの演出助手で居続けるしかなかった」「パクさんは僕の半身だった」と語った。ジブリの「思想性・社会批評・実験性」の多くは高畑由来であり、高畑なき後の作風変化を指摘する声も多い。
| 関係 | 人物 | 関係性 |
|---|---|---|
| 盟友・半身 | 高畑勲(1935-2018) | 53年来のパートナー。『火垂るの墓』『かぐや姫の物語』監督 |
| 最重要プロデューサー | 鈴木敏夫(1948-) | ジブリ代表取締役議長。宮崎の発見者・代弁者・後見人 |
| 師匠的存在 | 大塚康生(1931-2021) | 東映動画作画監督。58年来の盟友 |
| 後継者(実子) | 宮崎吾朗(1967-) | ジブリ常務取締役。『ゲド戦記』『コクリコ坂から』監督 |
| 海外キーパーソン | ジョン・ラセター | 千と千尋英語版製作総指揮。ジブリ海外進出の最大協力者 |
| 後輩監督 | 細田守、新海誠、片渕須直 | 「ポスト宮崎」と呼ばれる現代のアニメ作家 |