世界最大の代替資産運用会社Blackstoneが、ロンドン上場の音楽IPファンドを約15.8億ドル(約2,300億円)で完全買収。Red Hot Chili Peppers、Neil Young、Justin Bieberら45,000曲が機関投資家のポートフォリオに入った。上場モデルの失敗と、音楽IPが正式な「資産クラス」として確立された転換点。
Hipgnosis Songs Fund(HSF)は2018年7月、英国ガーンジー島に設立された投資会社としてロンドン証券取引所(LSE)に上場した。創業者はMerck Mercuriadis(メルク・マーキュリアディス)。かつてElton John、Iron Maiden、Beyoncéのマネージャーを務めた人物で、「音楽カタログはインフレヘッジ資産である」というテーゼを掲げ機関投資家に売り込んだ。
上場時の目標調達額は2億ポンドだったが、わずか数時間で完売。以降、HSFは年率30〜50%ペースでカタログ買収を繰り返す。主な対象:
2021年のピーク時、HSFの時価総額は約22億ポンドに達し、NAVは1株あたり1.8ポンド超を記録した。同年、Blackstoneはプライベートな「Hipgnosis Songs Capital(HSC)」に10億ドルを投資する提携を発表。このときはあくまでHSCへの資本参加であり、上場会社HSFの買収ではなかった。
2022年に米連邦準備制度(FRB)が急激な利上げを開始すると、音楽カタログの割引率が上昇し、将来ロイヤリティの現在価値が急落。HSFの株価はNAV(純資産価値)を大幅に下回って推移した(「NAVディスカウント」)。
2023年9月、Mercuriadisは打開策として、29カタログをHipgnosis Songs Capital(Blackstone関連)に4億4,000万ドルで売却する案を提示。しかし既存株主はこれを「NAVよりも大幅に低い価格での資産売却」として強く反発。2023年10月26日の株主総会で大差で否決され、新取締役会が設置された。
2024年春、HSFへの買収提案が相次いだ。主要入札者はConcord Music Group(アポロ・グローバル・マネジメント傘下)が1株1.25ドル、Blackstoneが1株1.30ドルを提示。2024年4月29日、HSF取締役会はBlackstoneの提案を支持すると発表した。
取引スキームは英国法に基づく「コート・スキーム(Court Scheme)」方式を採用。75%以上の株主賛成が必要だが、成立すれば全株主に拘束力を持つ。2024年7月8日、株主総会にて賛成率99.97%で可決。7月29日にガーンジー登記所への登録が完了し、HSFは正式に非公開化された。
| 買収価格 | 1株あたり1.31ドル(スキーム承認後に若干上昇) |
|---|---|
| 総買収額 | 約15.84億ドル(約2,300億円) |
| 企業価値(EV) | 負債含む約22億ドル |
| カタログ楽曲数 | 45,000曲超(138カタログ) |
| 主な保有アーティスト | Red Hot Chili Peppers、Neil Young、Justin Bieber、Shakira、Leonard Cohen、Journey 等 |
Blackstoneは世界最大の代替資産運用会社(2024年時点の運用資産総額約1兆ドル)。同社がポートフォリオの一角に「音楽ロイヤリティ」を正式組み込んだことで、機関投資家(年金基金・保険会社・ソブリン・ウェルス・ファンド等)への説明責任が整った。
買収完了後、Blackstoneは「Landmark Music ABS Transaction」を主導。HSFカタログから発生するロイヤリティ・キャッシュフローを担保として15億ドル規模のABSを発行。構造は複数のトランシェ(上位AA格〜下位BB格)に分割され、リスク許容度に応じた機関投資家に販売された。
以下の点で業界初の構造:
HSFが「上場ファンド×音楽IP」の最初の試みとして2018年に登場した際、Mercuriadisは「音楽は株式より低相関で安定した資産」「ストリーミング増加でロイヤリティは年率5〜7%成長」と主張した。2022年以降の金利上昇は、このモデルの根本的脆弱性(高バリュエーション×低流動性×マネージャーとの利益相反)を露わにした。
Blackstoneへの売却は「Mercuriadisナラティブの終わり」を意味するが、一方でBlackstoneが「音楽カタログを長期保有型PEファンド資産に適した商品である」と判断したことは、別の形で音楽IPの資産クラス確立を証明した。
HSFの組織設計には根本的な利益相反が内在していた。Mercuriadisの運用会社(Hipgnosis Song Management)はHSFに対して「アドバイザリー報酬」を徴収する一方、取締役会は実質的にMercuriadisの意向を無効化できなかった。さらに「コール・オプション」条項(運用契約終了時に全資産買戻し権)は、取締役会が運用会社を解雇しようとすれば全カタログがMercuriadisの手に戻るという「核の抑止力」として機能した。
音楽カタログの評価は通常「ネットロイヤリティ収入×マルチプル(17〜25倍)」で算出される。HSF設立時のバリュエーションは低金利環境を前提とした高マルチプル(20〜25倍)を採用。2022年以降の利上げにより、独立評価機関は2024年にHSFの一部カタログを26%切り下げた。ロイヤリティ型資産の評価には「金利シナリオ別感応度分析」が必須で、割引率が1%変化するだけで評価額が10〜15%変動し得る。
Mercuriadisは「スーパースターの楽曲はどんな経済環境でも安定したロイヤリティを生む」と主張したが、実際にはカタログ間の品質差が大きく、一部カタログは期待値を大幅に下回った。26%の切り下げは「全てのカタログが等価の安定資産」という前提が崩れたことを示す。
出典: Blackstone — Landmark Music ABS Transaction / Billboard — Hipgnosis Board Backs Blackstone Bid / Music Business Worldwide — Done Deal(2024年7月) / Investment Week — Shareholders Approve $1.58bn Deal / Music Business Worldwide — Hipgnosis Catalog Valued at $2.36B / Variety — Sony Music Publishing Acquires Hipgnosis Songs Group(2025年6月) / Billboard — Hipgnosis Portfolio Value Cut 26%